■2004.08.26(Thu)
感謝の気持ちが運を呼ぶ(風水学)
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日記に書いたら、微妙に祖父の件で心配をしてくれた人がいました…。 お気遣いをかけた方にはすみません。もうちょっと言葉に気をつけて文章を書きます(と何度決意したことか…)。
以下ちょっと景気の悪い話で恐縮ですが、祖父が亡くなった時の話などを。 話を聴くところによると、祖父が昏睡状態になってすぐ祖母も、うちの母の兄夫婦や妹(私にとって叔母や叔父)も、うちの母親や父親も、祖父のもとへかけつけたのですが、見るからに、明らかにいつもの寝顔なので、
「まだきっと大丈夫だよね」
などとみんなのん気に構えていたら、本当に眠るように亡くなってしまったらしいのです。 まあ、93歳で大往生だったわけですが… 前日まで普通にしゃべったりしていたらしいので、びっくりしました。
祖父の最後を看取ったのは、たまたま側にいたうちの母親でした。 心肺機能停止という話を聞いて、うちの母は一瞬耳を疑ったそうです。慌てて皆に連絡をするように看護婦さんに頼み、祖父の手を握って、
「おとうさん、おとうさん」
と呼びかけたら、意識が無いと思われるにも関わらず、うっすら3mmほど、呼びかける度に目を開けたということです。 だんだんと手や体が冷たくなっていく時にも、
「おとうさん、育ててくれて本当に、本当にありがとうね」
とずっと大声で話しかけていたら、祖父の目からすーっと涙があふれ落ちて、そのまま帰らぬ人となったそうです。
どうですかこの話。 おじいちゃーん!という感じがしませんか。 私だけかな…。
ちなみに医学的には、聴覚の機能というのは、心肺等のあらゆる機能が停止しても、最期まで残っているのだそうで、最期の最期まで声は聞こえている、本人に届いているという話を聞いたことがあります(そこの病院の看護婦さんもそう言ってたらしい)。
皆さんも死に行く人に立ち会う機会がきっとあると思うのですが、たとえ意識が無くても、心臓が止まってても、死にゆく人に向かって10分くらいは感謝の言葉などを話しかけてあげてください。 傍から見ると、マヌケかもしれませんが…。そこは愛の力で乗り越えて。
うちの母親は、そういえばなんだかたいそう運がよい人なのです。 「なんでアンタ、そんな所にいたのさ?」というポジションに、どういうわけか良くいます。 今回もまたそんな感じで、なんとなく「ああ、やっぱりうちのお母さんが看取ったんだね」という気がしました。
まあとりあえず、人間は(というか生き物は)いずれみんな死ぬものだ。 自分は振り返れば悔いだらけの人生ですが、少しでも悔いを残さないためにも、何かを残して行けたら良いなあ…などと思って、HPとかを作ってます。
=== とか言いつつ、また山形に行って来るのでHPの更新遅れます…。すみません…。 先週の土曜日は演奏会の前日で、結局お葬式への参加が出来なかったので、また母方祖父へのお参りへ、それから父方の祖父も元気が無いので、にぎやかしに行ってきます。 絵は往年の名作SLG「タクティクスオウガ」 より アロセール。この絵くらいで描くのを止めておけばよかった…。
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