■2006.03.01(Wed)
人生で取りこぼしてきたもの
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| ヴァイオリンを弾く際に、音程(左指の練習)や、弓の練習(右手の動き)などをきちんとやってから楽譜を弾きはじめると、 それまでいきなり楽譜に向かって、いくら練習してても弾けなかった部分がウソのようにラクに弾けたりして、 それまでの自分の練習がいかに遠回りで無駄なものだったかを思い知るのですが、
数学が出来ないのにPCソフトやプログラム言語を扱ったり、科学的な論文を書いたりするというのは、 音程の感覚が分からない状態で、いきなり楽譜の通りに弾こうとするヴァイオリン初心者、もしくは デッサンの能力が無いにも関わらず、いきなり絵を描き始めた人の作品のようなものなのではないかと…。
自分がいつも感じている、得体の知れない自信のなさの大半は、数学の能力の欠如に由来するのではないかと、 今日数学が専門の人とメールをやり取りしていたら、いきなり思い当たってしまった。 そしてこれはかなり妥当な考えと思われます。うわーどうしよう。今頃気づくなんて私はアホか。
数学、私は本当に理解力がありません。 高校の頃の成績は、10段階評定中で、平気で2とか取ってました。 数学的センスが無く、分からない自分には、数学が得意な人々が、 未知の分からない言葉(テレパシーのようなもの)で意思の疎通をしているかのように見えるので、 どうやらずっと疎外感や劣等感、己の不完全性などを感じていたようです。
自分には予想以上に数学コンプレックスがあって、そして数学的なものの考え方をあまりにも発達させないまま その他の能力やら周囲の親切やらに助けられて、ごまかしつつ茶を濁しつつこれまでの社会生活を営んできたことに、ようやく今日気づきました。
でも数学が人間の知的文化であり、多くの人々が長時間の訓練を経て身につけている能力である以上、 それが分からないということは、多くの人を理解できない視野狭窄(しやきょうさく)の状態、 もしくは多くの人の思考回路を理解できずに背を向けている人間ギライ、ということのような気がします。
私は、人間ギライではない。
ってなわけで。
いつか読もうと思いつつそのままにしていた、「はじめての数論」という本を、付け焼刃で読みだしました。 アメリカで実際に使われている、大学1年生・数学専攻者以外に向けたテキストで、 数学の楽しさを伝えるために易しく書かれた本だそうです。高校1年程度の数学知識があれば読めるらしい…。 それならなんとか私にも… よ…読めるかしら。ぶるぶる…
数学でも、数論と図形と確率と、二次関数だけはかろうじて理解できる部分だったなぁ、とか思いだしつつ…。
=== FF3より 学者(メガネ) | | |